故人から託される想い

実は身近な友人。数人には伝えていることではあります。

視えたり聞こえたり、スピリチュアルに傾倒している私です。

そして仕事へ向かう途中、いつも参拝する神社さんがあります。

そこを参拝すると光や映像として神託を受けることがあるからです。それらの神託は励ます言葉であったり、物事の捉え方だったり。

今の自分に必要な言葉が、降りてきます。

これまで多くの方に伝えることなく、ひっそりと過ごしてきました。

それでもどうしても伝えなければならない時があり、今回はまさにそんなケースだった様に感じます。

いつもなら電気がついている神殿の電気が消えており、アレ?と感じていたのです。

そして知りました。お母様が亡くなられたこと。

しかもコロナで会うことも、看取ることも叶わなかったことを知りました。

娘さんは自宅でお母様を介護をしていたそうです。

しかし、タン吸引が必要となり施設へ入所する運びとなった様でした。

施設でクラスターが発生し、そして会うことも叶わず最期を迎えた様でした。

長い間一緒に過ごした時間。

これから過ごすであろう時間はかけがえのない貴重な時間となり、だからこその後悔で涙されておりました。

そして託されました。伝えて欲しいと。

みんなに愛され、大切にされた時間だったこと。

だから後悔なんてしないで。

たくさんの優しさの中、

家族の想いとして共にあることを伝えて欲しいと言われるまま、お伝えしました。

大切にされた想いは、大切な家族に向けられそして受け継ぐのです。

そのまま故人の声を届けなければ、遺された家族の人生は後悔が色濃くなることでしょう。

これまで亡くなった方の声をお伝えしたのは、5人ほどです。

タイミングが合い、お届けすることができました。

その時感じるのは故人と遺された方の想いの差が実に大きいということでした。

大切だと思えば思うほど、後悔しか残らない現実。

だからこそ伝えなければならない、想いがあるのです。

たまたま波長が合ったから、託されたから伝える言葉ではあるけれど、それでも皆さん故人の最期のメッセージを、大切に受け取ってくださいます。

私が視える聞こえる現実をお伝えすることに、とても抵抗がありました。信じてもらえないと思ってしまう私がいるからです。

それでも託される現実が、私を強くするのです。

伝えること知ることは、その後の人生にとって、大きな糧になると思うからです

苦しみを抱えたまま、過ごして欲しくない。

それはどなたも願う言葉でした。

大切な方だからこそ、生まれるすれ違う想い。それら全て優しさに変わるような想いに昇華させる役目だと、最近になってようやく自分の役目として、受け入れられる様になりました。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。